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(中日双语)「上海通」古林恒雄氏と杨浦区との縁(中日双语)

东方网日文版2020-04-28 04:17:05

友人と話し合う古林氏

<はじめに>

 2017年から上海市人民政府外事弁公室では、上海と世界各地との協力·交流を促進するために、各区県の政府機関と協力して紹介活動を行うこととなった。その初めてとなる会合が3月22日、楊浦区にある上海国際ファッションセンターで開催された。領事館、国際商会、金融機構、多国籍企業などから代表約300人が集まり、新しいランドマークの「楊浦浜江」を見学した後、楊浦区の発展と革新について活発に話し合いが行われた。  

  この紹介会に招かれたのは、外国人として長期に渡って上海に貢献し続け、受賞歴もある古林恒雄氏であった。氏が初めて上海を訪問したのは今から約40年以上も前、その後一貫して上海のビジネス界に大きく貢献してきた。中国語を流ちょうに話し、人々からは「上海通」と慕われている。

「楊浦浜江」を見學する古林氏

当日、雨が降った

<楊浦区との縁は合弁企業の設立>

  古林氏は1978年にカネボウの技術紹介のために中国を訪れた。そして上海金山石油化工総厰の20万トンポリエステルプラント建設の日本側総代表として、中国初の本格的合繊プラントの設計·建設·運転を指揮した。このプロジェクトは「中国国家金質賞」を受賞するなど大成功を収めた後、1984年に中国側に引き渡された。

  金山のプロジェクトが終わった後、古林氏は1987年からカネボウの中国合弁事業の展開に係ることとなったが、この時から楊浦区との縁が始まった。 氏は当時を思い出してこう語る。「上海第十九棉紡織厰の前身は、1919年に鐘淵紡績株式会社(後のカネボウ)が楊浦区に設立した公大第一織厰だった。その頃、わが社の伊藤会長の父上はこの織厰の幹部だったので、伊藤会長は子供の時分は楊浦区に住んでいた。また、当時私の通訳を務めていた中国側スタッフの母上が第十九綿の幹部だったこともあり、両方のご縁でカネボウと十九棉とのお付き合いが始まった。」

 古林氏の尽力で1987年、カネボウ(株)は上海第十九棉紡織厰との合弁企業「上海華鐘ストッキング有限会社」を設立したが、これは上海初の中日合弁紡績企業だった。当時、華鐘ストッキングが生産したストッキングは上海市民に大変な人気となり、デパートに買いに来る人が連日長い行列を作ったという。

 古林氏はこの上海華鐘ストッキング有限会社を皮切りに、上海で20数社の中国華鐘グループ現地企業を設立したが、そのうちのほとんどは楊浦区に設立された。

<外資系企業の中国進出をサポート>

 90年代の初め、中国の経済は急速に発展し始め、それを商機と見た多くの日本企業が中国に資金を投じて工場を建設した。しかしその多くは中国の状況をあまり理解していなかった。いっぽう古林氏は、当時すでに中国に十数年暮らしており、中国、特に上海の経済政策、法律·法規などを熟知していたため、中国で投資しようとしている企業からよく相談を持ち掛けられていた。そこでこれをきっかけに1994年、日本の華鐘コンサルタントと上海紡績控股が共同出資して「上海華鐘コンサルティング」を立ち上げ、董事長に就任、つまり上海で投資を計画する外資系企業の「仲介人」に正式に就任した。その後22年の間に、同社の会員企業は800社以上にまで増え、外資系企業数百社の中国進出を力強くサポートし続けてきたのである。当時の思い出として古林氏は、「2008年に中国の新しい政策についてのゼミを上海新錦江ホテルで開催したが、約1200人もが参加するほどの大盛況だった。」と述べた。

 これら長年の貢献が高く評価され、古林総経理は2003年に「上海市白玉蘭記念奨」、2007年に「上海市白玉蘭栄誉奨」を上海市政府から授与された。

紹介活動現場

東方ネットの取材に応じる古林氏

<人との関係が一番大切>  

 インタビューで古林氏は「楊浦区は100年前に近代工業の発祥した地であり、30年前の改革開放でも大きな役割を果たした。私は楊浦区が『革新の伝統』を持ち、上海の国際化と発展を目指して、これからの新しい100年に挑戦する気概に深く感動している。」と応援の言葉を述べた。  

 そして最後に「上海での40年間、私にとって一番大切なのは人間関係である。今日ここで私は華鐘で一緒に働いた人々と会ったが、お互いに連帯感で結ばれていると感じている。社会がどんな発展しても、最も大切なのは人と人との関係だと考えている。」と語った。

(作者·撮影 范易成)



【摘要】2017年起,上海市人民政府外事办公室计划携手各区政府,举行“上海外事对外合作系列推介活动”。3月22日,首次推介活动以“国际化的上海:杨浦滨江传承创新”为主题,亮相于杨树浦滨江的上海国际时尚中心。


1978年古林恒雄因金山石化项目第一次来到上海,之后近40年间参与上海石油化工总厂二期工程建设、开办上海第一家中日合资纺织企业、创办咨询公司助力外资企业入沪。说着一口流利普通话的他无疑是一位“中国通”、“上海通”,也是上海改革开放几十年来经济社会发展的见证者。2017年起,为推动上海与世界各地的合作交流,上海市人民政府外事办公室上将携手各区政府,举行“上海外事对外合作系列推介活动”。3月22日,上海市人民政府外事办公室携手杨浦区政府在坐落于杨浦区的上海国际时尚中心举行以“国际化的上海:杨浦滨江传承创新”为主题的首场推介会。活动吸引来自外国驻沪总领馆、友城驻沪机构、新开发银行、国际商会代表处、金融机构、跨国企业的代表、留学生代表300余人齐聚杨浦,参观杨浦滨江开发示范段,共话杨浦滨江的创新发展。于2003年、2007年先后获得上海市“白玉兰纪念奖”和“白玉兰荣誉奖”的古林恒雄此次作为长期以来对上海作出突出贡献的外籍人士受邀参加。


“这里的上海国际时尚中心是原上海第十七棉纺织厂改建而来,而‘十七棉’的前身叫做裕丰纱厂,是日本大阪东洋株式会社早期在上海开办的纱厂。”说起杨浦的历史这位日本友人甚至比上海人还溜。虽然当天下着小雨,古林恒雄参观杨浦滨江示范段时依然热情不减。


  古林恒雄1965年从东京大学工学部产业机械工学科毕业后进入日本著名纺织、纤维公司钟纺株式会社就职。1978年,在中国政府规划中国化学工业发展的计划时,他代表钟纺株式会社向国家计划委员会、纺织工业部的有关部门推荐了“聚酯直接连续纺丝法”,这项先进技术被上海金山石油化工总厂采纳。于是古林恒雄参与金山石化总厂的国家级涤纶成套设备引进项目来到上海。


  金山的项目结束后不久,从1987年起,钟纺株式会社开始向中国投资,建立合资企业,从那时开始古林恒雄就与杨浦结缘。


  回忆起那段经历,古林恒雄对记者说:“上海第十九棉纺厂(十九棉)的前身是钟渊株式会社(后更名为钟纺株式会社)于1919年在杨浦区建立的公大第一纱厂。那时我公司的会长伊藤先生的父亲就是这个纱厂的干部,他跟随父亲来到上海,小学一年级时就生活在杨浦区。伊藤会长很想念十九棉,因此想要前去拜访。恰巧那时为我当翻译的外办工作人员的母亲是十九棉的干部,因缘巧合下促成了钟纺访问十九棉。”


  古林恒雄回忆,当时十九棉的厂长非常热情得接待了他们,而且双方都很希望一起建立合资企业。“那时候我们想生产袜子,但袜子属于针织,和纺织不是一个系统。而当时上海的纺织工业很发达,具有很大的话语权。因此,在国有纺织厂里生产袜子还是遭到了一定的阻力。但那段时期中国人的想法正一步一步开始转变,最终在古林恒雄和其他多方的努力下,1987年钟纺株式会社与上海纺织局下属的上海第十九棉纺织厂合资成立了上海华钟袜子有限公司。”


  华钟袜子厂成为了上海第一家中日合资的纺织企业而备受关注,同时因为当时上海还从来没有那么薄的丝袜,在上海第一百货销售部经常可以看到排着长长的队伍购买华钟袜子。古林恒雄自豪得对记者说,“当时的‘一厂两制’受到时任纺织工业部部长吴文英的关注,还吸引了其他厂前来参观,成为了改革开放后的一个典型模式。”华钟袜子的成功一时成为日本企业来沪投资的样板,之后钟纺株式会社在古林恒雄的努力下,又相继在上海成立了多家企业,其中绝大部分都设立在杨浦区。


助力上海吸引外资


20世纪90年代初,上海经济飞速发展,大批日本企业欲来沪投资建厂,许多日本企业找到了在上海生活了十几年,熟悉上海政策、法规的古林恒雄。以此为契机,1994年,钟纺株式会社与上海纺织控股(集团)公司所属对外经济技术合作公司合资建立了上海华钟咨询服务有限公司,古林恒雄担任公司的副董事长兼总经理。正式做起了为外资入沪牵线搭桥的“媒人”。


  华钟咨询实行的是会员制,为外商在上海设立公司涉及的各个环节提供服务。截至去年,中国公司的会员企业、政府机构总数近800家,为上海引进外资企业数百家,涉及投资总额约6亿美元。


  古林恒雄告诉记者,“2005年时政策开放,此前无法建立外资独资商贸企业。在我们的协助下,从事镜头销售的肯高商贸在上海成立,成为了上海第一家日本独资商贸企业,当时在日本引起了轰动。之后那段时间许多日企上门咨询,每个月新入会企业最多时达30余家,由于公司人手不够,每个人要负责好几家企业。多年来我们在中日两国开了许多讲座,帮助日本企业在中国,在上海开公司。2008年,因为新政策变化我们在新锦江开的讲座曾吸引1200余人参加。”


  在为上海吸引外资上作出诸多贡献古林恒雄于2001年被上海市外国投资促进中心、上海市对外投资促进中心聘为高级顾问,2005年开始担任上海市外商投资企业协会副会长。


  在上海华钟咨询工作多年的陈宁女士告诉记者,“我们公司的很多讲座会和上海外商投资企业协会合办,刘锦屏会长经常开玩笑说‘我们说100句都没用,古林先生说一句日本企业就信了,很有说服力。’由此可见,多年来我们对上海吸引外资起了很大的宣传作用。”


最念人情寄语杨浦


  当天的推介活动结束后,古林恒雄表示,杨浦区100多年前是中国最早的现代工业发祥地,30年前“改革开放”时期是上海产业振兴和再构建的基地,为上海的经济建设发挥了重要作用。今天,我深深感受到杨浦区 “传承创新”、建设国际化的上海、向新的100年挑战的信心和决心。30年来,作为参与和关注杨浦区建设一员,衷心祝愿也充分坚信杨浦区能完成这一历史使命。


  在采访临近尾声之时,问及在上海生活了这么多年感触最深的事,古林恒雄说:“是人和人的关系。上海国际时尚中心的朱伟明总经理就曾在华钟纺纱工作,今天我在活动现场碰到了很多华钟人,我们之间有很强的连带感,还有之前我在金山时一起工作的人们。我觉得不管社会如何变化、发展,人和人的关系是最宝贵的。”


文/摄:东方网记者范易成



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